July 08, 2010

議員定数が少ないほどエラいわけじゃないよ。

参議院選挙が間近ですね。

いつものように、マニフェストに議員定数の削減を掲げている党もあるようです。

これね、いつも思うんですけど、ポーズだけっていうか、衆愚の歓心を買おうとしているだけって感じで、どうも面白くありません。日本の国力がかつてほどではなくなって、30代の会社員の年収の最頻値が10年前に比べて200万円くらい下がっているという昨今、閉塞感や徒労感に苛まれる庶民に訴えるために、甘い汁を吸っているように見えるところを叩くことで人気を稼ぐ作戦を取る政党が、まずは公務員叩きをやるんだけど、それとバランスをとるために、自分たちも痛みを分かち合っているのですよ、っていうポーズのためだけに議員定数の削減を公約に掲げてる。そんな気がする。

でもさ、議員を例えば100人減らしたとして、いくら節約になるわけ?議員歳費、政策調査費、秘書、事務所…っていう変動費は削れるだろうけど、国会の営繕費や運営経費がそう下がるわけでもなし、議員削減一人につき、せいぜい数千万円の節約になるだけじゃないの?政府予算だけで100兆円近く、特別会計はそれ以上の規模があるなかで、100人議員を削減して数十億円節約したって大した金額じゃない。100億円としても、政府予算の0.1%。

いや、それでも節約できるならした方がいい。それはいいに決まってる。でも、気になるのは、その0.1%の節約を根拠なく、気分でやろうとしていることなんですよね。「ほら、みなさんの大嫌いな議員の数をこんなに削ってますよ、だから文句は言わないでね」みたいな。

議院内閣制の下、1億2千万の国民の代表で議会を開くというとき、いったい何人議員がいれば、過不足なく公正に国民の意思を届けることができるのか。そういう観点から議員定数の妥当性を評価してほしい。

たとえばさ、参議院選挙の一票の格差は最大5倍もあるわけですよ。これは、参院の242人の定数をまず各県に定数をひとつずつ割り振って、残りを有権者の多いところから順に割り振っていく、っていうやり方をやってたんじゃ、絶対解決しない。だってさ、島根県や鳥取県よりも世田谷区の方が人口多いんだよ。東京は1000万以上いて、島根県あたりは50万人とかしかない。今の定数でいわゆる一票の格差を正そうと思えば、ちゃんと計算してないけど、たぶん、山陰地方で1、東京には20、というような割り振りにしないといけない。国会議員が一人もいない県、というのを認めなくちゃいけない。まあ、道州制を導入して「県」という行政区分をなくすのであれば、それはそれでもいいんでしょうけど。

そういうのが困る、県選出の国会議員がいないという状況では地域の声が国政に届くかどうか不安だし、公正でないと判断するのであれば、議員定数はむしろ増やす必要があるわけです。

議員定数の話って、こんな具合にいかに国民の声を公正に国政に届けるか、という観点で決めてほしい。定数300が500になった、といったって、そんなの日本の経済規模からすれば誤差の範囲ですよ。


お気づきだと思いますが、公正に国民の声を国政の場に届けるための最も基本的な条件は、一票の格差が1倍であること、だと思います。若干の誤差は仕方ないとしても、小数点以下四捨五入で1になるくらいじゃないとおかしい思うよ。一票の格差を1倍にして、多様な国民の意見を国政に公正に届けること。そのためにはどんな選挙制度で、議員定数をいくつにすべきか、そういう観点で議論してほしいんですよね。

「我が党は議員定数を400に減らします。」「うちの党は350に減らすとマニフェストに書いております。」

少ない方がエラいという根拠はなにもない。このところの議員定数削減の議論は、うっぷんのたまった国民におもねるだけで、なんの思想もないように感じられるのが、どうもイヤなのです。

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